その子供が、ふっ…と目を覚ましたのは、大きな掌が子供の頭をおっかなびっくりな手つきで、そろそろと撫でているのを感じたからであった。その、どこか不器用な手のひらがとても優しかったので、寝起きのためにとろとろと閉じてしまいそうになるまぶたを必死にあけて、子供の頭をすっぽりとおおってしまう手の持ち主を見上げた。 「……だあれ?」 「誰って。……お前の親父だ」 仕方ないやつだな、と笑う『父』をみて、子供はぱちりと静かに瞬きをしただけだった。生まれてからというもの、大抵はくうくうと眠っていただけであるから、『父』という言葉の意味が理解できないのかもしれんなあと苦笑する。 「……?」 突然、膝に抱えていた子供が男の身体をよろよろとよじ登り、小さな手でぎゅっとしがみついた。驚いた男は、反射的に子供を引きはがそうとするが、手が触れる瞬間に、子供が自身の血を分けた存在であるということを思い出して反応が遅れた。そのほんのわずかの間に、子供は危なっかしいわりにするすると首元へとたどり着き、吸い寄せられるようにして小さな顔を寄せ、すん、と小さく鼻をならす。 「なんだ、何か気になるものでもあったか?」 「ととさまとはちがうにおいがする。……なあに?」 「ああ、残り香か……」 ひと月あまり共に過ごした女のことを思い出し、男はそんなに匂うのか、と袖口を鼻に寄せる。ごくわずかにしか残っていない匂いにこうも反応するとは。やはり、子は親を恋しく思うものなのだろうか。男は、そんな子供の身体をぎこちなく支え、まだ匂いが残っているであろう自身の首元へ押し付けた。 「むー」 だが、加減があまりできていなかったのだろう。子供は鼻先がつぶれて、じたばたと暴れる。男があわてて離してやれば、ややムッとした顔をして男を見上げた。ぺちぺち、と小さな手のひらで男を叩く無言の訴えつきである。 「わ、悪ぃ!」 幼子の手で叩かれたからといって、たいして痛みがあるわけではない。多少のわずらわしさはあるものの、男の行動が子供に不満を与えたのは事実だ。慌てて離すと、子供の母である女が、どういう風に子供を抱いていたかを思い出しながら、今度はそうっと寄せてやる。 「よーく匂いを覚えときな。そいつがお前の母親の匂いだからな」 「かかさま……あえない?」 「もう少し、お前がでかくなるまで、な」 「ふーん……」 子供の声が、どこか寂しそうな声に、男の気持ちが、わずかに揺れた。ゆっくりと撫でる己の手に合わせて、とろとろと子供のまぶたが落ちる。夏の、熱い陽に照らされた土のような男の匂いと、まろみを帯びたあまい匂いが交りあい、子供は安心したのかすとんと眠りに落ちる。そんな子供の寝顔を見ながら、男は小さく、本当に小さくため息をついた。 最初は、一族の悲願を達成するのだと言っていた女も、抱き上げた時にやんわりと女の指を握った子供に、泣きそうな顔をしていた。親の仇を討つため、忌まわしい呪いを解くため。女に、そして生まれたばかりの子供にとって、すべての元凶である朱点を倒すためだけに生まれた子供。 己の短い生涯に、過酷な運命を生まれたばかりの子供に背負わ瀬なければならない不甲斐なさに、女は泣いた。声を上げることもなく、静かに肩を震わせて。そんな女を、慰めてやるすべなど、男は持っていなかった。 「ここにいる間は、ゆっくり眠れ」 あの時抱き寄せた弱い肩を、今でも覚えている。守ってやりたいと思ったのは、気まぐれではない。 腕の中の子供が、もぞりと動いて男にきゅうっと抱きついた。男の温もりを逃がしてしまわないように。 「ととさま……かかさま……」 小さく男と女を呼んだ子供を、愛おしいと思った。思ってしまった。だが、どうすることもできない。一度くらいなら、助けてやることはできるだろう。だが、それだけだ。 「…………なんだ、童」 子供が女の元へ行けば、もう抱いてやることはできない。女がつけるだろう子供の名を呼ぶことも、助けてやることも、死に目を看取ってやることも、何もかも。 神とは、なんと無力なのだろう。 男は、己の無力さを噛みしめながら、健やかに眠る子供の頭をなでた。 13.05.18 |