ESSENCE 2



「嬢ちゃま、嬢ちゃま! そのようなことはガートがおやりになってくださいますから…!」
「あのねえ…。何でもかんでもガートにやってもらっていたら、私、なぁんにもできなくなっちゃうわ」

なおもガラガラ声でわめくガートを無視して、いつだったか壊れた椅子を利用して作った、いびつな台の上に立つ。私が生まれた1960年代につまみをひねるだけで火のつくコンロなんてあるわけもなく。今にも手を出しかねないガートの落ちくぼみかけた目玉が、ぎょろりとこちらにそそがれているのを感じながらも、マッチを擦って火の調整をする。ずるずるたれ下がってくる肩と袖が、すこぶる邪魔だった。

この家には、子供服なんて存在しない。子供はすぐに大きくなるのだから、というのが理由だ。おかげでこの家には子供用のものなんてひとつもない。お腹が空いたからご飯を作ろうと、シンクに突っこんだままにされていたフライパンだって、重たい鉄製のものだし。

父はこの頃、家に寄りつかなくなった。それでいいと思う。帰ってきたところで、この家にわずかに残っているお金をもっていくだけだ。母が実家からかっぱらってきた金品はそこをつきはじめていて、生活はますます苦しくなっていた。ホットケーキですら3日に1度、食べれるかどうか…。おかげで私はますますやせ細り、色が白くなった。

慣れ親しんだものがいつのまにか家の中から消えていく中、プリンスの家紋が入ったティカップは、最後まで我が家に残っていた。けれど、それもひと月前に質屋へ入れられた。いつも誇りを忘れるなと言い、お茶の時間だけは優雅にしていた母が、私を連れだって質屋へ向かいあのティカップを差し出した時の表情。受け取ったお金の少なさ。

「いつか。……いつか、もう1度あのティカップでお茶を飲みましょう、リリィ」

しっかりと握りしめた、お金の入った革袋。少し震えた声。たったひと月前のことではあるけれど、まるで昨日の事のように思い出せる。それくらい、リリィとして新たに生きている私には、あの時の母の表情は衝撃的だった。

その出来事いらい、さすがの母も働きに出た。今まで何不自由なく暮らしてきただろう母がまともに働けるとは思っていなかったけれど、疲れ果てて愚痴をこぼしながらも、次の日には仕事へ出かける母に、『私を産んでくれた人』以外の感情が湧いたのは確かだった。

「ガート、お皿!」
「はい、嬢ちゃま」

パチンと指先1つで魔法が使えるガートと違い、私はまだ魔法が使えない。重たいフライパンが床に落っこちてしまう前に、飛んできたお皿にぽんとホットケーキを乗せると、まだ熱いままのそれを投げるようにしてシンクへおろす。案の定、山のようになっていた皿のいくつかが割れる音がしたけれど、かけらさえあればガートが綺麗に直してくれるので心配はしない。

ガートが椅子によじ登って、小さな体を全部使ってテーブルをふく。その上に、少し焦げたパンケーキと、しなびかけてた野菜を申し訳程度に盛りつける。いい加減、飽きていて食べるのを放棄したいメニューだけれど、死にたくはないので無理やり口に入れた。ぼそぼそのパンケーキは、口の中の水分を遠慮なく吸い取っていく。はしが欠けたコップで、口元を切らないように注意して水を飲むと、まだ半分ほど残っているパンケーキをフォークでつついて、ため息をついた。

「…お米食べたい」
「輸入物はお高いのでございますよ、嬢ちゃま。ミルク粥でございましたら、ガートがお作りになられますから」
「……そーゆーんじゃないのよねー……」

緑茶も飲みたい。醤油が、梅干が、お味噌汁が恋しい。骨の髄から日本人がしみついている私にとって、アミノ酸の欠如はもはや麻薬切れに近い。禁断症状である。魂が覚えてしまっているのだからしょうがないじゃないか。お金さえあれば、1番ちかくのチャイニーズレストランへ行ってラーメンでもすするのだが、そんな余裕が我が家にあるわけもなく。

そもそも、イギリスの料理は大体が焼くか煮るか茹でるかぐらいのもので、味付けに至っては「みんな好きな味が違うんだから、好きなソースかけて食べるのよ」が普通なのである。離乳食を経て、ガートの作ってくれた食事を初めて口にした瞬間のあのまずさ……。思わず号泣し、しばらくの間再び離乳食へ逆戻りしたのも懐かしい。

「もう少し、仕事増やそうかな」
「嬢ちゃま!!」

魔法を使う事が出来ない私だけれど、母に内緒でこっそり仕事をしている。主にマグルの新聞配達と、魔法界での煙突掃除…などなど。プリンス家としての誇りを失っていない母やガートに言わせると、百歩譲って魔法界での便利屋のような仕事はいいけれど、マグルに雇われるだなんて!と怒りだすのだけれど。

本気でこの状態から脱出しようとするならば、そんな小さなことに捕らわれていてはダメだろうと思う。この辺の感覚は、私が元・日本人であり、21世紀などになっても階級層というものがぬぐいきれないイギリスというものをいまだに理解できていないところにあるのだろうけれど。

「怒る前に聞いてよガート。この家はとてつもなくみすぼらしいけど、ありがたいことに簡単な魔法薬を作る材料には事欠かないのよ」

なにせナメクジもネズミもわんさかいるし、雑草かと思っていたもののいくつかはそんなに貴重なものではないにしろ薬草だという事が判明したのだ。これを使わない手はない。

「調理用の鍋でも、そんなに違いはないだろうし。傷薬くらいなら、レシピ通りに作ればものになるわ」
「そんなこと、奥様がお許しになられるはずがございません、嬢ちゃま」

相場がどのくらいかはわからないけど、確か新聞に5クヌート払ってたはず。だったら1クヌートくらい?本気でお小遣い程度にしかならないだろうけど、ないよりマシだ。問題は、どこに売りに行くかってことだけど……あいにく、私が言ったことのある場所は、あのティカップを売りに行った質屋のある町しかない。無事に行って、帰ってこれればいいけど。

「許す許さないじゃないの。 ―――やるの」
「嬢ちゃま!!」

まあ、作ろうとしたのが、作業工程の中に2晩ほどぐらぐら煮込まなくてはならない薬だったので、母にはあっさり見つかってしまった。けれどそれ以来、母がときおり私に魔法薬の作り方を教えてくれるようになったのは、いいことなのかもしれない。




11.07.18