爪の先まで君への愛で



、ちょっといいか」

昼食をとろうと食堂へ向かう道すがら、音もたてず忍び寄ってきた男に声をかけられた。

「かまわないけど。…なにかあった?」
「いや…」

私の言葉に歯切れ悪く言葉をにごす男の名前を、潮江という。忍術学園一ギンギンに忍者をしていて、三禁にうるさいこの男と私は、世間一般で言う、お付き合いというものをしている。
付き合い始めた頃は、あれだけ三禁、三禁とうるさかったくせに、なに自分だけちゃっかり女を作ってやがる!と散々やられたそうだが、潮江のことだ。それもまたひとつの鍛錬としたに違いない。
好いているとか、愛しているだとか、明確な言葉を交わし合ったわけではないけれど、互いの時間が許す限りは、同じ時間を共有している。
隣にいてくれるだけで心地良く、他のくノたま達と違い、色事が苦手な私には、気合を入れてめかし込んで、逢引きに行くよりは、汗にまみれて鍛錬し合うことぐらいしか思いつかない、潮江という男が丁度良い。

「ちょっと来い」

甘い言葉も、触れ合いもほとんどないけれど、寝る間も惜しんで鍛錬している姿を知っているから、そんな男くさい潮江が私と二言三言会話をするためだけにきたのだと分かるだけで胸が淡く痛む。
腕を引かれてたどり着くのは、まだ一度しか来たことのない潮江の部屋だった。衝立に仕切られたその部屋はどちら側もきちんと整理が行き届いている。とはいえ、潮江の事だ。下手に触れば何かしらの罠が発動するに違いない。

「適当に座ってろ」

自分の居場所ではない所と言うのはどこか居心地が悪い。とりあえず言われたとおりに座りはするものの、あまりきょろきょろするのも悪いかと思い、結局のところ、奥の方から何やら引っぱりだしてくる潮江をぼんやり見つめていた。

「おい、。手ぇ貸せ」
「え」
「…いいから。貸せ」

鍛錬ばかりしている武骨な手が、私の手をとる。と、潮江は床に置いていた椀に指を付け、私の爪をつい、となぞった。その指のあとにそって薄く色づく爪先に驚いて潮江を見たけれど、寝不足なのか、背中を丸めて私の手元に顔をやって、潮江は真剣な表情で私の爪に色をのせていく。

「良いぞ」

全ての指に色を乗せ終わった潮江は、どこか満足そうにそう言った。指先だけ、薄紅が乗せられた手を何度も眺めて、その綺麗な色と、それに似合わぬガサガサな手に少しだけ落胆する。町の子みたいに、綺麗な手だったらよかったのに。

「…嫌か」
「えっ、ううん、違うの。ただ…」

ぼんやりと眺めていると、潮江がどこか不満げに私の顔を見ていた。慌てて意識を目の前に座る潮江にうつし、それからもう一度、自分の手を見た。

「ただ?」
「……私には似合わないな、と思っただけ」

何度も割れたりを繰り返して固くなった手のひらは、潮江のそれには及ばずとも、一般的な女の子の手よりもずっと男らしい。そんな私の指先に、似合わない薄紅がちょこんと乗せられているのだ。ちぐはぐ具合に、笑ってしまいそうになる。

「んなこたねえだろ」
「そうかな」
「おう」

潮江の手が私の手をとる。はじめて出会った時はまだ少年らしかったのに、今じゃすっかり男の手になっていて、その事実にどきりとした。

「なあ、
「ん」
「とれたら、また来い」
「うん」

色素で指先が赤く染まった潮江の手が、ゆっくりと私の手をなぞる。

「…他の奴には、やらせるなよ」
「……ん」

なんとなく気恥ずかしくて、私も潮江も、視線をそらしたまま。耳元でなっているんじゃないかと思いたくなる心臓の音を聞きながら、ただ、お互いの息づかいを感じるばかり。




11.10.11