ちいさな約束



殿!」

そう嬉しそうな顔でこちらに駆け寄ってくるのは、元服すれば真田源次郎幸村というまったく持っていかつい名前となってしまう真田の姫君、弁丸だった。熟れた桃のような敏感肌と甲高い声、襟足だけ伸ばしたスタイリッシュなんだかダサいんだか良くわかんない髪型が特徴的な女の子だ。



―――そう、女の子。



「はい、なんでしょう弁丸様」

ぼす、と突っ込んできて恥ずかしそうにこちらを向く弁丸は(ていうかアンタが突っ込んできたおかげでみぞおちがいてえよ)明らかに恋する乙女の目でこちらを見上げる。

「父上からきいたのでござるが、それがし、元服したら殿の嫁になるでのでござりまするか?」
「私は、そう聞いておりますよ」

私は女だ。いや、女だった。深夜の残業帰りに酔っ払いの車に突っ込まれて即死なんてしてなきゃ今頃適当に安定収入稼いでくる男をとっ捕まえて結婚して専業主婦やってたはずだ。



それなのに



気がついたら男の姿でしかも赤子ってなんだこれ。いじめにもほどがあるっていうかそもそもこの世界はおかしい。私の記憶する歴史といろいろずれてる(そもそも真田源次郎幸村って真田信繁のことじゃなかったのか)上に、幸村の妻になるはずの(って、これはそういう名前の可能性があるだけで本名かどうか知らないけど)が男で幸村が女ってなにそのパラレルワールド。

「その、あの、……殿はそれがしが妻でよいのでござるか…?」

恋する乙女の思考回路はわからん。
あれかな、最後にときめきを感じたのがずいぶん昔なのがいけないのかな。

「……おっしゃる意味が良くわからないのですが」
「その!殿はそれがしのことをどう思っておいでなのでしょうか…!」

ぐっと両手を胸の位置にあげ、握りこぶしを握ってこちらを見つめる幸村。もとい弁丸。その顔は頼りなげに歪められていて、その目もなんだかちょっと潤んでいて…。うん、なんていうかこんな風に熱烈に思われたことなんて一度もなかったから、なんだかどう対応していいのかさっぱりだ。

そもそも、そういうことを口にするのは慣れていない。現代人だからか。いやいや、日本人はそういうストレートな表現が苦手だったはずだ。じゃあなにか、目の前の弁丸は日本人じゃないのだろうか。

私はそんなまっすぐきらきらの弁丸から目をそらしたくて、のっぱらの雑草に目を向けた。そこには、たくましくも懸命に太陽へと背を伸ばす一輪の小さな花。たくさん見かけるけど名前は知らないそれをぷちりとつんで、まだふにふにしている幸村…じゃない弁丸の指にくるりと巻いた。

「一人の女性としてお慕いしているというわけではありませんが、私はあなたとの婚約を嫌だと思ったことはありませんよ」

まだ小学生くらいの子どもに本気で惚れこんだりすることはまあないんだけど、こんなに可愛らしい外見なら夫婦になってもいいかな、とは思う。まだティーンであるとはいえ、男の体になってはや十年。ナニの扱いにもいい加減慣れました。とはいえ、さすがに女性を組み敷くまでの勇気はいまだに無いんだけど。

「……うれしゅうございまする!」

左手の薬指にくるりと巻かれた花を見て目を輝かせた弁丸は、ぱあっと笑顔を作るとそのまま世話付忍者の下へと駆け出していった。なんだっけ、名前は確か佐助とかいった気がする。オレンジ色の髪と緑色が派手な、全然忍べてないんじゃないかと思われるくノ一だ。ぺこりと一礼して、弁丸を抱えて音もなく飛び去っていく様子は、さすが忍者。はじめて忍者みた時にびっくりしてあれこれ質問したのが懐かしい。うん、どうやら忍者にとってはなんら特別なことではないらしくて、逆にびっくりされたんだっけ。

「それにしても、なんだろうねこの変な世界は」

周りに誰もいないことを確認すれば、どっとあふれる疲労感。思わず重たい溜息をもらせば、足元に揺れる、先ほどの名も知らない小さな花。もとい雑草。

思わず薬指にはめてしまった意味を知るのは、この世で私だけだろう。いくらリセットされたとはいえ、成人してどれほど経ったのか数えるのも億劫になってしまった大人の身としては、真正面から正直に好意を告げるなんて、恥ずかしくてできやしないのだ。



「っていうか本当になんで男……?」



がくりとうなだれた私が、この世界がさらに色々とおかしいと知るのは、まだまだずっと先の話。




09.09.08  加筆:12.11.10