好きだ、嫌いだ、好きだ



>>> side



「お勤めが終わったの。だから、ようやくを愛してあげられる」

そういって、あの人は私に触れる。最後に別れた時と同じ、優しい指先が頬に触れた瞬間、まるで止まっていた時が動き出すかのように、焦がれるような気持ちがわき上がってくる。

「…せんぱ、」

むせかえるような甘い口付けに、私の言葉が塞がれる。それは心地良いもののはずなのに、飲み込んだ言葉が鉛のように腑にとどまる。きっと、あの頃の私なら、何の疑問も持たずに、ゆるゆると流され、応えていただろう。

…?」

久方ぶりの先輩の唇を、ただ受け入れ、過ぎ去った年月を埋めるような求めをあっさりと流した私に、先輩は瞳を揺らして戸惑いを見せる。その表情が、たまらなく懐かしくて、愛おしくて、ぎゅう、と胸がしめつけられた。大好きだった人。今も忘れられない人。だけど、だけど。

「先輩、出産おめでとうございます。…男の子、だそうですね」

私ではなく見知らぬ男の子供をその腕に抱いたあなたを、私はもう愛せない。最初から最後まで、あなたを私のものにしたかった。子供みたいなわがままに、自分でも反吐がでそうになるけれど。

それでも。男に抱かれたこの人を、私はもう、あの頃と同じ想いで見つめることなんてできないのだ。勝手な人。最初に好きだと言ったのはあなたの方だったくせに、私を捨てて、家が決めたという男の元へと行ってしまった。

…違う。そんなのただの被害妄想。先輩は逃げられなかっただけ。すべてを捨ててまで、私を選んではくれなかっただけ。それがひどく悲しくて、でも、どこかで分かっていたから、驚くほどにすとんと、納得している自分もいて。

先輩は、私がいつでもここにいると、思っていただけなのだ。

「……ありがとう、

私の愛は不変であると疑わない人。
そんなあなたが、泣きたいほどに大好きで、憎らしいほど嫌いです。



>>> side 留三郎



に客が来ていると俺にこぼしたのは、小松田さんだった。珍しい人が来たんだよ、と見せてもらった入門表に、ガン、と鈍器で殴られた気分だ。隣にいた伊作が、気分でも悪いのかと心配して尋ねてくるくらいには、衝撃的だった。

べつに、学園一の美人だとか、とても優秀で誰も勝てないだとか、忍たまやくのたまとして特に目立った特徴もなにもないその人は、在学中、と恋仲だった人である。あの頃のの心の氷を根気よく溶かして、かたくなに開こうとしなかったつぼみをほころばせた人。のとびきり可愛い所を引き出した人。そういう意味では、『あの』を懐かせたとして有名だった。

なんとかして会わないようにさせることはできないかと、の姿をさがしていると、人目につきにくい中庭で、見なれた装束を視界にとらえた。声をかけようとして、止まる。目の前で、が先輩と口付けていた。どこか夢見るように、先輩の着物を掴んでいる。ただの触れているだけの口付けなのに、そんな顔を見せるが、嫌だった。

。何やってんだ、こんなところで」
「―――…あなたに関係ないでしょう」
「そりゃ、そうだけど…」

すぐにでもやめさせようと、思わず出た言葉にあっさりと「関係ない」と返され、ずん、と喉の奥に鉛が落されたような気になった。俺との間には、それなりの触れ合いがあると思っていただけに、こうして明確な線引きを場に出されると、へこむ。

声をかけた手前、そのまま姿を消すのもあれだろうと、適当に、先生が呼んでいたでっちあげた。普段のならすぐに気づいただろうに、やけにあっさりと頷いて、その場を離れる様子に違和感を覚えた。これが、先輩にはいつでも会えるという事からくる余裕なのだとしたら、俺は一体、どうしたらいい。

あいつは、俺のことが好きなのに。
あんたなんかじゃなく、俺の、(女の姿に、)心底惚れこんでいるのに。

「…久しぶりね、留三郎」
「ええ。先輩もお変わりないようで」

久しぶりの逢瀬だろうに、突然現れた邪魔者に感情を吐露することなく、穏かに微笑み余裕を見せつける先輩は、思いこみを正当化しないと、立っていることすらままならない俺とは違い、いまだにあなたへの想いをを引きずっているの心を「愛してる」の言葉だけで、あっさりと奪う。そんなあんたが羨ましくて、心の底から、大嫌いだ。



>>> side ×××



触れた唇は、愛おしいあの子のものだったのに。こんなにも近くにいるのに、あの子の心がひどく遠い。きちんとここを卒業することができなかった理由を、納得してくれているものだと思っていた。この結婚が望まぬものであると、私の一番の愛はあの子のものであると、理解してくれていると、そう、思っていた。

愛など無かったのよ。欠片ほども。
あったのは、義務だけだった。

あの人には、私よりも愛する人がいた。私にも、あの人よりも愛する人がいた。私とあの人が一緒になったのは、互いに『家』というものに縛られているから。ならばいっそ、縛られたもの同士、傷のなめ合いができれば少しは違っただろうに、それすらできなかった。なんてこともない。あの人は、私に慰められるよりも、別の人に慰めてもらっていたのだ。

私はすべて奪われて、これから手にすることにだって渋い顔をされるというのに。あの人が同じことをしても、誰も見ていないふりをする。冷えた関係の中、生まれた命にどう接していいのやら分からなかった。いっそ、腹の中で期待に押しつぶされてしまえば良かったのにとすら思う。

「お子さんが、生まれたとか」
「あら、耳が早いのね」

でも、本当に子が生まれなければ、違ったのだろうか。浮かんだ考えに、首を振って否定する。目の前にいるのは、あの子が大嫌いなはずの『男』。男なんて生き物、声も聞くのも嫌だと言っていたあの子が、ほんの数秒とはいえ同じ場にいるのに、取り乱したり殺気を飛ばさないだなんて。

「先輩の子供なら、そりゃあ可愛いんでしょうね」

変わるなというのは酷なことなのでしょう。けれど、あの子には変わらずいてほしかった。私を愛していて欲しかった。はじめて焦がれた人。女であることがこんなにも煩わしいと思ったことはなかった。けれど、女だったからこそ、私はあの子に出会えたわけで。

「ふふ。今度抱いてやってちょうだい」

にこやかな笑みを浮かべたその顔を、ひっぱたいてやりたいとすら思うのに、こんなときまで、先輩ぶってる自分が嫌い。あの子の心に、居てもいいと許されたお前が心底憎い。だけど、そんな醜い感情をあらわにするのを恥ずかしいと感じる私は、穏やかに笑う面をつけて、心の中でお前を罵ることしかできやしない。

すべてをかなぐり捨ててあの子を求めてしまいたい。
けれど、それであの子に拒絶されたら。きっと私は生きてはいけない。

「…きっと、喜ぶわ」

だから。拒絶される前に、決定的な別れをつきつけられる前に、私はあの子のそばから離れることにしよう。そうすれば、愛おしい思い出とともに私は生きていける。

私のどうしようもない、醜くて、汚くて、弱い部分を、それを含めて好きだと言ってくれた。

――私は、あなたを今でも愛しています。




12.01.25