それは、突然に



綺麗な人だなあって、思った。
男の人に、綺麗っていうのはヘンかもしれないけれど。

長い黒髪は重みを感じさせないふわっとした感じだし、まつ毛だって、女の人みたいに長くって。それなのに、体つきはしっかりしていて、なのに、華やかな着物やおしろいが似合いそうな肌の色。

綺麗な人だなあって、こんなすてきな人になれたらなあって、思ったの。



……だから、どうしてこうなってしまったのか、よく分からない。



「ねぇねぇ、今日のお昼どうする?」
「うーん、Aランチ、かなあ…」

トロトロのあんかけ煮か、サッパリ蒸し鶏、どちらにしようかと友達と話しながら歩いていると、向こう側から上級生がやってきた。廊下はそんなに広いものじゃないから、このままではふさいでしまうなあと思ったは、こちらへとやってくる上級生に道をゆずろうと、右端へよった。

と、相手の上級生も、同じようにに道をゆずろうとしてくれたらしい。同じ方向へと移動してしまったために、二人して右側でつまってしまった。

「あ、ごめんなさい」
「いや、こっちこそ悪いな」

なんとなくおたがい苦笑して、今度は左側による。

「…えっと」
「ごめん。ゆずったつもりだったんだけど…」
「いえ、あの、すみません」

相手に道をゆずろうとして、同じ方向によること数回。気恥ずかしさを誤魔化すようにぺこりと頭を下げて、その顔を見た時だった。こちらを見下ろす大きな目が、じっとの目をとらえる。なんだろう?と思ったものの、も同じように見つめ返す。

瞬きもほとんどしないで、じっ…とこちらを見つめる先輩は、その大きな目が乾かないか心配になるくらいに凝視している。ついでに言えば、なまじ整った顔つきのその人が、何の表情ものせずにじぃ、じぃ、じぃぃっと見つめてくるので、非常にこわい。

(ええっと……、ど、どうしたらいいの!?)

ちらりと横目で助けを求めた友達は、無理ムリ!と首を横にふっただけ。そんなこと言わないでもうちょっとねばってよう、と抗議しようとしたその時、の顔に、ふっと影がかかった。

なんだろう?と思った時にはすでに遅く、視界いっぱいに近づく先輩の顔。綺麗な顔だなあ、まつ毛だって長くて、くのいち教室のお姉さんみたい、などと考えていると、ふ、とわずかに、自分のではない息がかかった。そして、ふに、と押し付けられたなにか。

「…? っ…!」

なにか、が先輩のくちびるであると理解したのと、まわりがざわめき始めるのはほぼ同時だった。ひゅう、と誰かが口笛を吹いて、友達のひゃーだか、きゃーだか、よく分からない声も聞こえた。

いきなりのことに混乱し、突き放そうと腕をつっぱるものの、いつの間にか抱き込まれてしまったのか、先輩の胸に折りたたむ形になってしまった腕では、ほんのわずかに押しやるのが精いっぱいで。なおかつ、ぴかぴかの一年生であると、大人の人と変わらないように見える(少なくとも、からしてみればずうっと大人だ)先輩の体格差だ。そう簡単に退けるものではない。ただでさえ、男女差があるっていうのに。

「んー!」

わずかな抵抗に、先輩がどう思ったかはわからないが、一度はなれたと思ったくちびるは、再びのくちびるにふに、と触れて、ぺろりと舐めたり、ちゅっと吸いついてみたりと好き勝手に楽しんでいる。気恥ずかしさにずっとつめていた息だが、さすがに限界になって、ふぁっと口を開いた瞬間、そのタイミングを見計らったかのように、にゅるんとしたなにかがの口へとすべりこんできた。

「や、ん、ぅう?!」

舌の裏をつつ、となぞられると、背中から首筋までをぞわぞわとはい上がってくるあまりの衝撃。思わず、気持ち悪い!と渾身の力で押しのけると、きょとんとした顔の先輩と目があった。

「なん…なんなんですか…!なにするんですか!!」
「ああ…いや、すまない」

どうやら先輩は自分がなにをしたかよく分かっていないようで、しきりに首をかしげてはくちびるをなぞっている。その動作で、先輩に口づけられたのだ、という事を思い出したは、ぶわっと首まで赤くなった。

目がしらも熱くなり、じわ…と視界がゆるんで、思わず涙をぽろりと落してしまいそうになったところで、先輩が慌ててこちらを覗きこもうとしたのが分かったが、はそれをふり切るように足裏に力を込め、脱兎のごとく駆けだした。

!」

友達の戸惑った声が後ろから追いかけてくるが、恥ずかしさでいっぱいのはただただその場から消え去りたいという事しか頭になかった。







角を曲がり、あともう少しでくのいち教室の敷地に入る、というところで、ガッと肩をつかみ、思い切りこちらへと体を向けさせる。反射的に腕をあげ、女の子は俺の腕を振り振り切ろうとしたので、慌てて腕を女の子の腰へとまわし、ぐっと引きよせた。

「やっ…!離して、離して!」
「すまない、悪かった。だから、頼むから、逃げないでくれ」

全力で逃げられるとか、結構傷つくんだ。

そう言えば、「ど、どの口っ…!」と、金魚のように口を開いたり閉じたりしながら、真っ赤な顔で睨んできた。確かに自分でも、かなり調子のいいことを言っているという自覚はあったけれど、それを反省するよりも先に、こちらを睨むちょっとうるんだ目元とか、首まで真っ赤になっているのとかをみて、かわいいなあ、なんて思ってしまった。

「うぅぅー…」
「…ああ、ほら、そんなに暴れると怪我するぞ」

俺が忍たまだから遠慮しているのか、はたまたこの子よりも年上だからかは分からなかったが、女の子は声をあげる代わりに、一刻も早くこの場から逃げ出そうと、ねこの子みたいにじたばたもがく。でも、混乱しているせいか、俺の腕を払いのけるのではなく、なぜかそのまま突破しようとして、自らぎゅうっとお腹をしめつける羽目になった。しかも、ムキになっているせいか、さっきとはまた違った意味で顔が赤くなっている。

……この子、護身術の授業とか大丈夫なんだろうか。

正攻法ばかりでなく、苦しいのなら、いったん力を抜いて別の方法を試してみればいいのに…と思いながらも、まだまだ入学した手でたまごの一年生のこと。ちょっとしたイタズラ心で、少し腕の拘束を緩めてやれば、突然のことにバランスを崩して、ぎゅっと俺の腕をつかんでしまう危なっかしさが、初々しくていいな、と思う。

俺くらいの年になると、女の子たちはみんな、忍たまのことを練習用の人形かなにかとしか見ていないから、ちょっとやそっとのことじゃ、かわいいなんて思えないのだ。むしろ、恐怖の対象である。…弱みを握られるだろうし、そんなことを言ったと分かれば、きっと怒って、しばらく集中的に罠だの術だのしかけられるだろうから、面と向かって言ったことはないけど。

「ほらみろ。言わんこっちゃない」
「先輩が突然離すからです!」

俺の腕をささえにしているせいか、すこしだけ近づいた顔。

(お、)

ちょっとは警戒をといてくれたんだろうか。そう思って顔を覗き込んでみたものの、目があった瞬間、エビ反りをする勢いで思いっきりそらされた。さっきの逃げもそうだけれど、これも地味に傷つくな…と考えていると、腹の方にまわしていた手に、わずかに振動を感じた。

なんだろうかと思って様子を見てみると、少し前まで出来る限り距離をおこうとそらしていた体を縮めて、きゅう、と俺の袖をつかんでうつむいている。その耳の先が、ほんのり赤く染まっていて、ああ、腹の虫でも鳴かせたのか、と思いつく。

「食べられる時に食べないっていうのは、よくないぞ」

学年が上がっていけば、実践と同じような実習も多く入ってくる。準備を怠ったり、運が悪ければ、数日間飲まず食わずなんてこともザラだ。そういった厳しい授業がまだないうちは、しっかり体を作るという意味でも、食事は重要だ。何より、俺の腹もかなり限界だったので、腕にすこし力をこめて、まだ小さな体を持ち上げる。

「わっ!?」
「そういうわけだから、食堂に戻るぞ」
「お、おろしてください!自分で歩けますから」

急に視界が高くなってびっくりしたのか、ちょうど俺の肩に置かれた手に、きゅっと力がはいる。そんなすれてない様子に、思わず口元がゆるむのは仕方がないことだろう。

すこし目線の高くなった顔をちらりと見あげる。まだ納得はいかないものの、諦めておとなしくなった様子はねこの子みたいだ。

「うん、ついたらな」

自分が、どうしていきなりあんなことをしたのかはまだよく分からない。…が、あのまま分かれてしまって、「なんとなく知っている人」で終わるのは寂しいなと思ったのだ。




12.04.21  加筆:12.05.11