昨日が休みの日でよかったと、心の底から思う。じゃなきゃ私は前の日と同じ服のまま、そしてコロンの変わりにほのかなゲロ臭を漂わせて出勤しなくちゃいけなかったんだから。まだかすかに頭は痛むけれどもう胸は苦しくなかった。ついでに、あの時の男からの連絡もなかった。何もなくてよかった、とほっとしている自分がいる。 事務の仕事は特に何も変わり映えもなく、いつもと同じように順調に進んでいった。この前できなかったお遊戯会のプログラムは仮決めを作り終わって園長に提出したし、入園予定の子供の調書も作り終えた。今度ある市の検査に必要な書類の記入も済ませてやはり園長に提出済みだし、時折かかってくる電話の受け答えも上の空にならずに済んだ。すこし疲れがたまって、眉間をぐっとつねってぐりぐりしていると、からりと事務室の扉が開いた。職員の誰かか、園長だろうと思ってくるりと向きを変えると、そこには可愛らしい女の子がちょこんと顔を出していた。 「どうかしたの?」 とりあえず笑顔で彼女の用件を聞く。こういう事はたまにあるから、あまりびっくりはしない。職員室に行きたくて、隣の事務室の扉を小さい子はよくたたく。漢字が読めないから。けれど、彼女は職員室に行きたいわけでは無いらしい。ただ、私の顔を見てにこにこと笑っている。それから、とととととっとそばまでやってきて、私の手に四葉のクローバーをぽとんと落とした。 「…くれるの?」 椅子から降りて、彼女の目と同じ高さにかがみこむと、女の子ははにかむように笑ってぱたぱたと駆け出した。そしてそのまま、事務室から出ていってしまう。なんだったんだろう?と思いつつ、手に残った四葉のクローバーに視線を落とす。すると、廊下の向こうからパタパタと走る音が響いてきた。子供の足音では無いから、誰か職員なんだろう。大方、さっきの女の子を捜しにきたのだろうなと当たりをつけて、私は立ち上がった。息を切らして事務室にやってきたのは、私が一人暮らしを始めた頃にこのゆりかご愛育園にきた小林大和さんだった。 「あ、あの、こっちにひよりちゃん来ませんでした?」 「水玉模様のワンピースの女の子だったら…ここにきて、すぐ行っちゃいましたけど」 「ど、どっちに?!」 あちらに、といいながら女の子が出て行ったほうを指差すと、彼はありがとう!といいながら駆け出した。そんな彼を見ながら、私はやれやれとデスクにもどる。と、今しがた出て行ったはずの彼がパタパタと戻ってきて、扉からにゅっと顔だけを覗かせてにこりと笑う。 「何があったか、僕にはわからないけど、飲みすぎはだめだよ」 「え?」 それだけ言うと、彼は今度こそ事務室を出て女の子を探しに行ってしまった。私は一人が働くには広すぎるくらいの事務室にただ突っ立っていて。まさか、そんなはずないだろう。全く接点のない赤の他人だと思っていたから、こんな態度がとれていたのに、同じ職場で毎日顔を会わせている人なんて。走馬灯のように、昨日の記憶が蘇る。 はっきりとしたものではないけど、絶対他人には知られたくない部分がガラス張りで見られ放題みたいな、そんな感じがした。 05.11.13 |