かけがえのない、幸福な時間



グレックミンスターから少し離れた所にある森の奥で、は目を閉じていた。そよぐ風は木の葉をゆるやかに揺らし、木々の間をすりぬけてふりそそぐ木漏れ日が心地よい。

「なぁ、も手伝えよ。せっかく俺とが来てやってるんだからさ」
「やなこった。勝手に来ておいて、恩着せがましいんだよ」

テッドとは、ズボンを膝まで上げ、冷たくて気持ちいい川にはいっていた。手頃な大きさの石を見つけては、魚を捕まえるための罠を作るために囲いを作っている。は、そんな二人を木の上から眺めながらまるで猫のように器用にその場で寝返りを打って背中を向ける。

「なんだよ、付き合い悪いな。うまくいけば、グレミオさんのあのウマいシチューが食えるっていうのに」
「まあまあ。魚が取れても取れなくても、グレミオだったら二人に御馳走してくれるよ。それよりテッド、囲いを作った後はどうすればいいの?」

さりげなくフォローをしつつ、初めての魚とりにわくわくした表情を見せたがテッドにそう伝えると、テッドはとたんに顔を輝かせて「思いっきり暴れるんだ!」と楽しそうに笑った。

「暴れる?」
「魚をびっくりさせて、わざとあの囲いの中に誘い込むんだよ。釣りも楽しいけど、これも楽しいんだぜ」



ほら、こうやってさー。



そんな風に呟きながら、ばしゃばしゃとテッドが川の中を歩き回る。跳ねる水が木漏れ日に光って、きらきらと輝いて、は思わず目を細めた。そんなテッドの様子を見て、もうずうずとしてきたのか、見よう見まねで同じように魚を追い始める。

にしてみれば、こんな風に遊ぶのは初めてのことだと思うのでほほえましいのだが、さすがに300年以上生きてきた若作りの爺(むろんテッドのことだ)が、そんな少年と同じように遊んでいる姿は、呆れるしかない。

「そっちに行ったぞ!」
「えっ…うわぁ!」



ばっしゃん!



の眠る枝にまで立ち上る水しぶきに思わず下を見ると、川に座り込んで呆然としているの姿があった。状況が分からずテッドに視線をずらせば、こちらもあっけにとられたような顔でを見つめている。

「あ、でかい」

ぽかんとお互いを見つめあっている二人の横を、大きな魚がすいっと罠のほうへとはいって行った。思わずがつぶやくと、テッドはずぶ濡れになったを押しのけるようにして目を輝かせる。

「大物じゃないか!」
「だからさっきからそう言ってんだろ」

呆れたように返すと、いつもなら皮肉の一つでも返してくるテッドが、満面の笑顔でを見た。あまりに予想外なその返しに面くらったは、テッドがその手をこっちに向けて伸ばしたのに気付けなかった。

「というわけで、お前も手伝えよ!」
「?!?!」

気づいた時にはもう遅く、体制を整えようにも枝からずり下ろされた不安定な体制では重力に沿って水に落ちて行くほかなかった。結果、よりも大きな水しぶきをあげてずぶ濡れになってしまう。

「……、大丈夫かい?」
「……………ああ」

いつも顔を隠すように深くかぶったフードから、ぽたぽたと水を垂らすを心配そうにのぞきこみながらが気遣う。川に座り込んだまま、じっと水面を見つめるの周りを、さらさらと水が流れていった。

「顔と腹、どっちがいい?」
「…へっ?」

怒鳴られるだろう。そう身構えていたテッドの耳に届いたのは、さわやかな声と眩しい笑顔。長年『相棒』としてきたのこんな顔を見るのははじめてだと見つめることしかできなかったテッドは、がいつも腕にはめているリングを戦闘時と同じように大きく変化させ、いつでも攻撃ができるように体制を整えているのに気付けなかった。

「だから、顔と腹と、どっちがいいかって聞いてんだよ!」
「どわっ」

鈴の音を転がしたような声音から一変し、リングを振りかぶったの声はいつもの声だった。すんでのところでの攻撃をかわしたテッドは、自分のすぐそばの地面に軽くめり込んだリングを見て冷汗を垂らす。そんなテッドを見てはチッと舌打ちをするが、は逆にホッと胸をなで下ろしていた。

「あっぶねーな、何すんだこの馬鹿!」
「おいテッド、お前、自分がの父親に小屋を与えてもらったからって大事なこと忘れてんじゃないか?お前と違って私はこの森で暮らしてんだ、風邪ひいたらどうしてくれるんだよ」
「だから!お前もうちに来たらいいって言ってんじゃねえかよ!」
「森の中のほうが落ち着くっていつも言ってんだろ!」

ぎゃんぎゃんと言い合いながらも、はリングを振りかぶりテッドの顔や腹を狙うのをやめようとはせず、一方のテッドもひょいひょいと紙一重のところで攻撃をよける。なまじ水辺でやるものだから、テッドが川へ逃げればばしゃばしゃと水柱が立ち、岸へ逃げればぼこぼこと穴があいた。そんな二人を、最初はおろおろしながら見つめていただったが、だんだんとそれが『じゃれあい』であることに気づくと、呆れたようにため息をついて濡れた服の裾を絞り始める。

「もう、二人とも僕のうちにくればって言ってるのにさ」

少し拗ねたような口調になるは、あのマクドール家のお坊ちゃんには見えない。どこにでもいる、普通の少年だ。そんなのつぶやきに、お互い掴みかかる格好のまま振り向いたテッドとは、決まりが悪そうに互いの服から手を離す。

、それは何度も話し合ったじゃんか。俺とはテオ様に拾ってもらった身だ。こうやってお前と対等に付き合えてるだけでも十分すぎるのに、これ以上世話になるわけにはいかないさ」
「でも、こんな森暮らしじゃ、、大変じゃないか」
「別に野宿は慣れてるよ」
「悪いなー、。こいつ、人見知り激しいんだよ」

そっけない態度でいうにしょんぼりと肩を落したを励ますようにテッドがの背中をたたく。ちらりと横目で見たは、を落ち込ませてしまったことに悪いと思っているのか、濡れたフードを直すふりをしてさりげなく顔を隠している。一緒に旅をしていた経験があるため、テッドはある程度の事情を知っているので無理強いはするつもりはないが、それでもやはりの家か、もしくは自分の家にいるのがいいのではないかと思うのだ。

「あ、うん。なんかそんな感じ」
「大体お前、女って自覚が足りないんだよなあ。時々に会いに来るお嬢さんたちとまではいかないけど、もうちょっと女らしいかっこうすりゃいいのに」
「うるさい。あんな動きにくい服、着てられるか」
「動きにくいって……今の服のほうが動きにくいだろうが」

呆れたようにため息をつくテッドに、はむっとする。

「昔、旅芸人のフリしてたときにモンスターに襲われて、戦ったのはいいけどスカートだったから攻撃するたびにちらちら見えそうで見えないのが気になるとか言ってたのはどこのどいつだったっけね?え?テッドさんよ」
「うっ」

それは、まだと出会う前の頃のこと。いつも頭の先から足の先まですっぽりと黒に包まれているは、その異様な風体から怪しまれやすい上に覚えられやすいらしく、ハイランドの息のかかった街を出る時、普通の町娘の格好をしたことがあった。まあ、今こうして二人が穏やかにと一緒にいられる通り、その時は何事もなく町だけではなく関所も抜けることができたのだが、その後モンスターに襲われたのがまずかった。いつものように腕につけていたリングを大きく変化させ、接近戦で闘っていただったのだが、接近戦というのは腕だけではなく状況によっては足も使う。それを、スカートを履いているときに恥じらいのかけらもなくやるのだから、後方で弓を放っていたテッドはひどく焦ったものだった。

「……あんな恰好で暴れまわってるお前が悪いんだろうが!」
「あの状況で暴れなかったらやられてただろ。馬鹿か、お前」
「てっめ……言わせておけば!!」

150歳も年下のに『馬鹿』と言われたのがカチンときたのか、再びにつっかかていくテッド。のほうとはいえば、しれっとした顔をしてこぶしを握るテッドを見つめつつ、その手にリングを握っている。

「でも、ちょっと見てみたかったなあ。似合いそうだもの、
「「…………は?」」

一触即発の雰囲気に、のまるで遠くを思い出しているような声が聞こえて、テッドとは思わず、いったい何をするべきなのか忘れてしまった。

「いつもフードを深くかぶってるから、あんまり見えないけど、ってば結構かわいい顔してるんだし、この間お城で見た女のひとみたいな格好したらすごく似合うと思うんだ」

木漏れ日の光を受けて笑う。そんな彼にこんな言葉を言われたら、グレッグミンスターの女の子なら顔を真っ赤にしてしまうに違いない。

、目でも悪いんじゃないの」
「そう?これでも、弓を外したことはほとんどないんだけど」

テッドを振り返りながら、不思議そうな顔をする。鋭いんだかとぼけているんだかよくわからない親友に頭を抱えたくなる。のほうと言えば、片膝に肘をのせ、の方から顔をそらすようにそっぽを向いていた。はたから見れば、馬鹿馬鹿しい発言をした友人に呆れているように見える。ただ、長い付き合いのあるテッドだけは、それがの見せる猛烈な照れであるということに気づいていて。

の奴、よくこんな奴に笑顔で話せるよなあ…)

むろん、にしてみれば、の態度は仲良くなる前のテッドによく似たもので人見知りの延長のようなものだと思っているだけなのだが。

(………あー、もう、なんだってんだ)

ぽとんと、真っ白な紙にインクがにじむような、そんな違和感がテッドの中に落ちる。その違和感に、少しだけ疑問を覚えたテッドであったが、なぜそんな感覚が自分に降ってわいたのかはわからなかった。

ただ、ほんの少しだけ目が合ったの瞳は、吸い込まれそうなほどの闇色で。

長い間一緒に旅をしてきた相棒だというのに、どくんと胸の音が鳴る。



(……なんだぁ?今の)



「ま、でもこいつの場合、口を開いたらすぐボロがでるけどな!」
「そこらの田舎役人ならだませるよ。どっちにしろ、ドレスなんて大っ嫌いだけど」

その理由を知るテッドは少しだけ複雑な気持ちになったけれど、そんな思いを振り払うように努めて明るい笑顔をその顔に浮かべる。伊達に長い時間を生きていないテッドには、いくら聡明なでもその作り笑いを見破ることはできなくて。

「残念だなあ。誕生日に着てもらおうかなとか思ってたのに」

いつ追手がきて壊れてもおかしくないこの時間を大切にしたくて。だからこそには自分自身のことも、のことも包み隠さず話してしまいたくて。

「夢が壊れて終わるだけだって」
「そうかなあ…似合うと思うのに」
「イチイチ腹の立つ奴だな、お前……」

こんな軽口だって、しばらくすれば思い出に変わってしまうのだから。もう少しだけ、何も心配いらなかったあの頃のように過ごさせてほしい。

そうしたら、その思い出を胸に悠久の時を生きていけるから。




09.08.15

物語が始まる前の平和な時間。の前では年相応の少年を演じているテッドですが、いつの間にか演じていることを忘れていればいいなと思います。